ドイツ歴史学派の影響
ドイツ語圏においては、歴史学派それ自体は解体したものの、最新経済学派における理論と歴史を統合する総合的・現実的視点は、シュンペーターに継承され、また第二次世界大戦後の「社会的市場論」(W・オイケン)にも影響を及ぼしている。
歴史学派の経済学・社会科学は、ドイツと同様、国民国家の形成に出遅れつつ近代化・工業化を進める西欧各国・アメリカ合衆国・日本にも影響を及ぼした。イタリアではロッシャーに学んだL・コッサが歴史学派理論を紹介してイタリア歴史学派と称され、合衆国ではR・イリーがドイツ社会政策学会にならってアメリカ経済学会を1885年に設立、またT・ヴェブレンは歴史学派の方法論に学び進化論的な制度学派の創始者となった。また経済的先進国であり、歴史学派と対立した古典派経済学の本拠地であるイギリスにおいてもJ・ロジャーズ、W・アシュリーらイギリス歴史学派によって歴史学派経済学の導入がすすめられ、経済史研究が発展した。
日本においては、グナイスト・ロエスレルら歴史学派の法学者たちが御雇い外国人などの形で直接・間接に明治憲法制定に影響したほか、大島貞益がリストの著作を翻訳(重訳)して保護貿易を主張、「日本のリスト」と称された。さらに1890年代後半には、ドイツに留学して新歴史学派の経済学を学んだ金井延・桑田熊蔵らが「講壇社会党」を自称しドイツ社会政策学会にならって日本でも「社会政策学会」を結成(1897年)、工場法などの社会政策立法の制定に貢献した。
参照元:Wikipedia「ドイツ歴史学派」